@numa08 猫耳帽子の女の子

明日目が覚めたら俺達の業界が夢のような世界になっているとイイナ。

令和に蘇ったファンタジー〜シン・ウルトラマン〜

封切りで見られなかったけれど、先日ようやくシン・ウルトラマンを見てきた。

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俺にとって今年の映画はかなり当たり年で、ドラえもんの新作楽しませていただいた。シン・ウルトラマンはもう最高で、上映中に「そうそう、そういうのでいいんだよ!」ってなったし、とくにザラブ星人との戦いのシーンであのBGMが流れて泣きそうになった。

上映が終わって明るくなってから立ち去る人たち一人ひとりを捕まえて「よかったですよね、よかったですよね」と言いたくなるそんな映画だった。言わなかったけれど。あと、家に帰ってからウルトラサブスクに入会した。

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公開からぼちぼち1週間も経つタイミングで色々なレビューとか考察が公開されている。他人の言葉も借りつつ自分がなぜシン・ウルトラマンを好きになれたのだろうか。

シン・ウルトラマンはリアリティ・ラインが低くかなりフィクションよりに描かれていた点が印象的だった。序盤、主人公の神永が現場にいる自衛隊員を差し置いてたった一人で逃げおくれた子供の救出向かう。禍特対の権限や能力がどれほどのものか分からない序盤のシーンで「逃げおくれた民間人がいるので救助に向かいます」「よし」とやるやり取りは往年のヒーロー映画のフォーマットそのもので、ある意味で安心感があった。

シン・ウルトラマンはそのプロモーションやタイトルから「シン・ゴジラ」を彷彿とさせる作りとなっている。シン・ゴジラはそのキャッチコピーが「虚構 対 現実」であり、まるでドキュメンタリーのような進行、東北の大震災を思い出させる描画、そして最後のカタルシスシン・ゴジラを経験した私たちはシン・ウルトラマンにも暗黙のうちに同じような空気感を求めていたかも知れないが、実際にはシン・ウルトラマンはかなり虚構より、フィクションよりの映画だった。

シン・ウルトラマンがフィクション的であると感じさせるシーンはたくさんある。浅見弘子が気合を入れるとき自分の尻を叩くシーンはアニメのようだし、同じく浅見がチェーンソーを持って扉を蹴破るシーンもアニメようだ。メフィラス星人の用意したベータボックスの在り処を探す方法が「数値化されない匂い」なるものだったり、身動きが取れなくなった班長の田村がタバコを大量に吹かしているシーンも今となっては映画やドラマの中でしか見ない昭和時代の光景だ。

こうやって列挙するだけでシン・ウルトラマンには令和時代とは思えない描画や演出が印象的だった。だからこそ、ウルトラマンの行動の不合理さを違和感なく受け入れられる。ウルトラマンは光の国の掟を破って地球人と融合、光の国からやっていたゾーフィの警告も無視して命をかけて人類を守ることに力を注ぐ。

シン・ウルトラマンにおける光の国の一族は人類に文明としての価値を見出していない。ベータシステムを使った兵器化の懸念があったからゾーフィは滅ぼしてしまうことが宇宙全体の平和につながると考えている。光の国の掟とか価値観に則って考えればおそらくウルトラマンも同じ答えを持つのだろう。

合理的な考えを覆すまでの何か。それこそがキャッチコピーの「友情」なのだ。

くぁ〜なんだこのタイトル回収。「空想と浪漫、そして友情」うんうん、そうなのだ。ウルトラマンが悪い怪獣や宇宙人をやっつける空想と浪漫、そして人間とウルトラマンの友情。そこにもまた浪漫。

難しい御託や哲学的なあれやこれやをエヴァンゲリオンで経験してきた俺としては単純明快でスカッとする、そんな映画を求めていたのだ。そして、それこそがシン・ウルトラマンだった。

実相寺氏の雰囲気

それはそれとしてウルトラマンウルトラセブンの実相寺監督回は好きだし、シン・ウルトラマンも狙っている雰囲気があった。役者の顔ではなく椅子や小物を大写しにしてその横に演技をする人がいるカットが多く印象的だった。実相寺監督的なんだなぁー知らんけど。

偶然かもしれないが、田村班長の「タバコ」やザラブ星人メフィラス星人が地球人に取り入って侵略や利用をすることだったり、そして禍特隊がウルトラマンと強い信頼関係の友情を築いていること、この描画がウルトラセブンの「狙われた街」を思い出させる。

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狙われた街、では人類同士の信頼関係に目をつけたメトロン星人の地球侵略が描かれる。メトロン星人を倒したウルトラセブンのシーンで物語は終わるが、ナレーションが締める。

「このお話は遠い遠い未来の物語なのです。 え、何故ですって? 我々人類は今、宇宙人に狙われるほど、お互いを信頼してはいませんから」

狙われた街では1960年代風の世界を舞台に「これは遠い遠い未来の物語なのです」と言ってしまうところに、人々に対する皮肉を感じられた。ウルトラマンとの友情を描き、異星人は地球人の信頼関係を揺るがしてくる。果たしてシン・ウルトラマンは現代の物語なのか、それとも「遠い遠い未来の物語」なのか。

この後味の悪さすらウルトラマンの味であり、シン・ウルトラマンの良さだと言える。