何年間かこの家でサーバーとして働いてくれたHPのML115 G5を処分することにしたので、ちょっと思い出を語ることにした。
初めてのサーバー用途マシンだった
ひとり暮らしを初めて4年目くらいだったか。ML115G5は大学の生協で売られていた。値段も1万5千円くらい。OS無し。安いと思ったので迷わず買った。当時は金持ちだったのだ。
しっかりとしたダンボールに入って到着したML115G5は、ストレージを出し入れする部分がフロントパネルを開けて専用ネジを外した場所にあった。今まで自作で普通のデスクトップを組み立ててきた自分には初めての体験だった。
手段と目的は当然逆転してた
「なんかサービスやりたいからサーバーを用意した」のではなく「家でサーバーとかかっけえええええええええええええええ!!サーバー買うぞおらああああああああああああああ!!」って感じでサーバー買った。
なので構成も色々と試した。なんか色々動かしたり、バックアップの仕組みとか作っているうちに「仮想マシンっていいよね」みたいに思ってきた。なのでVMWare ESXi入れた。
JenkinsもRedmineもWordpressもここで覚えた
そんなわけでVMWare ESXiをインストールした。仮想マシン上でいくつかホストを立てて、サービス毎にホストを変えた。5,6個のホストが同時に稼働してた気がする。
- jenkins, redmine, gitを動かすやつ(Scientific Linux)
- nfsとsambaで共有ディレクトリを提供する奴(FreeBSD)
- dnsサーバーになるやつ(Ubuntu)
- sshサーバーになって外からの踏み台になるやつ(Scientific Linux?)
こんな感じだったかなぁ?
jenkinsではAndroidアプリのビルドとテストをやってた。ML115G5はファンの音が煩いことで有名だったけど、ビルド中はものすごく煩くなる。寝る前にcommitしたやつをビルドしたりすると、布団に入ったところで「ファァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!」ってすごい音がしてやばかった。
毎週土曜日の2時くらいに仮想マシンをストップさせてストレージの仮想ストレージのバックアップを取ってた。サーバーが止まる時間に合わせてコードを書くのをやめるようにしてた。でも、結局cronの設定を手動でずらして徹夜したりしていたけど。
全部自分でやってたんだなぁ
今ならソースコードの管理はgithubなりbitbucketを使う。ファイルの共有ならgoogle driveやdropboxを使う。Webサーバーも自分で動かすよりもどこかのクラウドサービスを契約する。そっちの方が安いし、用意する手間も安くなる。
でもそういうのじゃなくて、趣味だったのだからいいのだ。
アメリカに旅行に行った時は、ラスベガスから家のマシンにVPNを張ってSambaをマウントして論文の修正をやってた。ユースホステルの回線は遅いし、エディタで編集して保存するまでに時間はかかるし、TeXのコンパイルをするのも待たされた。
電気代もすごかった
ちなみにアメリカに行ってたほぼ1ヶ月間、サーバーは付けっぱなしだったわけだけど電気代もすごかった。俺が家にいて生活している時の電気代と、1ヶ月間旅行に行っている間の電気代がほぼ同じだった。
サーバー運用の解答が無かった
プログラミングならググれば色々と解答があった。APIの使い方、実現したこと。そういうキーワードでググれば大抵「こうやればええんやで」って情報があったわけだ。しかし、サーバー運用はあんまりそういうのが無かった。
パフォーマンスが出ないけど、どうすればいい? セキュリティ上の問題は? そもそもこれをやりたいけど、なんてググればいいんだ??
結局最後までSSHの速度はなぜか遅かったし、Webサーバーのリバースプロキシもできなかった。リバースプロキシを知ったのは、Play frameworkでアプリを作り始めたころかなぁ。
結局面倒くさくなった
最初のモチベーションが趣味だったので、飽きてしまえばそれまで。そんな感じでサーバーを利用しなくなり、メンテナンスのコストが目立つようになって電源を切って結構経つ。
そんなわけで
「あの時の経験が役に経った!仕事なんかでもLinuxの操作とか普通にできるので助かってる!!」って感じで締めようとも思ったけどなんか違うんだなぁ。
なんだろうね。青春?みたいな?夏の暑い日に自分よりもサーバーのことを気遣って温度設定をしたり、停電にヒヤヒヤ怯えていたあの日々が、やたらと煩い起動時のファンの音を聞いたあの頃がやけに輝いていたように思えるのです。
おわり。
HP ML115 G5 電源入れてみた。 - YouTube
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