ある日・・・
この日を待っていた。藤子・F・不二雄氏の作品の全てを収録する全集が発刊される、それは僕のちょうど20年の人生の中で、密かに期待をしていたことだった。
ドラえもんのアニメをいつ頃から見始めていたのかは記憶にない。物心がついた頃にはもう身近な存在だった。小学校の学区外にあった図書館には、ドラえもんやパーマンのコミックスが置いてあった。小学6年のときに、てんとう虫コミックス版のドラえもん、1〜45巻を買ってもらって本棚に並べて満足をしていた。
まあ、そんな小学生時代でそのままの流れで中学、高校、大学と過ごしてしまったようだ。
大学生になって、ある程度の経済力が身についた自分にこのシリーズを揃えないという選択肢は存在しなかった。今では幻になってしまった作品、見たことも聞いたこともないようなタイトル、そして何度も読んだ作品・・・。それらの全てが自分の物になる。それは、とても嬉しいことだった。
未来の思い出
そして、2012年9月に「UTOPIA 最後の世界大戦 / 天使の玉ちゃん」が発刊されて、大全集のシリーズは終了した。天使の玉ちゃんは藤子不二雄のデビュー作品、UTOPIAは入手不可能と言われる幻の漫画だ。曰く、まんだらけオークションで100万円の値がついた、曰く何でも鑑定団では300万円まで登った、曰く初版は国内に4冊しか存在しない、曰く原作者も持っていない・・・。
幻で、伝説で、そして藤子不二雄という漫画家の原点とも言える作品だから、読んでみたいと昔から思い、その願いは叶った。心に少しの寂しさを残して。
大予言
藤子・F・不二雄大全集はまさしく「大全集」だ。藤子・F・不二雄の作品の全てを収録して発刊される。だからこそ、ファンとして期待し、だからこそファンとして寂しさを覚える。僕のいくつかある趣味の一つは、古本屋や漫画喫茶で自分が所持していない漫画を読むことだ。それは出会いで、偶然によって与えられる新しい刺激だ。刺激は快感で、心地よく僕に新しい世界を教えてくれた。
そして、藤子・F・不二雄作品も刺激の中に含まれていた。何度も文庫などに収録される少年/異色SF短篇集、新刊ではまず発売されないパーマンやエスパー魔美、チンプイetc...それらに偶然出会えることが喜びだったし、探すことが楽しみだった。
藤子・F・不二雄大全集はその全てを奪い去った。細かい話をすると、収録された作品の中には、雑誌掲載時と単行本収録時で差分があるものもあって、その辺りを全てカバーしているわけではない。しかし、「物語」とか「漫画作品」とかの少し大きめなくくりで見た際に、たった一つの事実を突きつけられる。
もう、新しい出会いは無い、と。
実際にはこの後、大全集第4期がスタートしたのだが、街の古本屋さんなどで出会える可能性のある作品に限って言えば、コンプリートしていた。
未来ドロボウ
仮に過去の自分に戻って、もう一度藤子・F・不二雄大全集を一から集めることができるとしたらどうだろうか。中々魅力的な妄想だ。出来るものならやってみたいと、思わないでもない。思わないでもないが、やってみようとは思わない。理由は簡単だ。大全集を集める前の「思い」がその時の僕だけのものであるのと同じで、全集を集め終わった「思い」も、今の僕だけのものだからだ。それぞれ掛け替えのないものだと僕は思っている。故に、過去に戻ることは無意味で無価値だ。
あのバカは荒野を目指す。あるいは、老年期の終わり
さて、僕はこの先何度も藤子・F・不二雄大全集を読み返すことになるだろう。もしかしたら、見落としていた何かを見つけるかもしれない。あるいは、まったく新しい発見があるかもしれない。そして、あるいは全く逆の、好きだったものが嫌いになる、そんな感情が生まれるかもしれない。
恐れることも、杞憂することもない。ただ、また、前に進むだけだ。
2112年ドラえもん誕生
未来のことは分からないが、技術的な視点から未来予測をすると、あと100年でドラえもんが誕生をするとは思えない。時間旅行が可能になるとも思えないし、4次元空間に収納スペースが生まれるとも思えない。地面から3mmだけ物体を浮かして動かすことは、その原理にさえ拘らなければできるのかな?そしてなにより、人間と同じように考え、思い、悩み、笑う人工知能が誕生するかと言うと、割と怪しい。
しかし、100年後にそう言った物が実現していないとしても、100年後の人々がそう言った物に「憧れ」を抱き続けているのであれば、それは嬉しい物だと思う。そして、そんな夢を思うときに、その傍らに、ドラえもんが、あるいはパーマン、もしかしたらオバQがそっと置かれているのなら、一人のファンとして嬉しい限りだ。