@numa08 猫耳帽子の女の子

明日目が覚めたら俺達の業界が夢のような世界になっているとイイナ。

完結 藤子・F・不二雄大全集

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ある日・・・

この日を待っていた。藤子・F・不二雄氏の作品の全てを収録する全集が発刊される、それは僕のちょうど20年の人生の中で、密かに期待をしていたことだった。

ドラえもんのアニメをいつ頃から見始めていたのかは記憶にない。物心がついた頃にはもう身近な存在だった。小学校の学区外にあった図書館には、ドラえもんパーマンのコミックスが置いてあった。小学6年のときに、てんとう虫コミックス版のドラえもん、1〜45巻を買ってもらって本棚に並べて満足をしていた。

まあ、そんな小学生時代でそのままの流れで中学、高校、大学と過ごしてしまったようだ。

大学生になって、ある程度の経済力が身についた自分にこのシリーズを揃えないという選択肢は存在しなかった。今では幻になってしまった作品、見たことも聞いたこともないようなタイトル、そして何度も読んだ作品・・・。それらの全てが自分の物になる。それは、とても嬉しいことだった。

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未来の思い出

そして、2012年9月に「UTOPIA 最後の世界大戦 / 天使の玉ちゃん」が発刊されて、大全集のシリーズは終了した。天使の玉ちゃんは藤子不二雄のデビュー作品、UTOPIAは入手不可能と言われる幻の漫画だ。曰く、まんだらけオークションで100万円の値がついた、曰く何でも鑑定団では300万円まで登った、曰く初版は国内に4冊しか存在しない、曰く原作者も持っていない・・・。

幻で、伝説で、そして藤子不二雄という漫画家の原点とも言える作品だから、読んでみたいと昔から思い、その願いは叶った。心に少しの寂しさを残して。

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大予言

藤子・F・不二雄大全集はまさしく「大全集」だ。藤子・F・不二雄の作品の全てを収録して発刊される。だからこそ、ファンとして期待し、だからこそファンとして寂しさを覚える。僕のいくつかある趣味の一つは、古本屋や漫画喫茶で自分が所持していない漫画を読むことだ。それは出会いで、偶然によって与えられる新しい刺激だ。刺激は快感で、心地よく僕に新しい世界を教えてくれた。

そして、藤子・F・不二雄作品も刺激の中に含まれていた。何度も文庫などに収録される少年/異色SF短篇集、新刊ではまず発売されないパーマンエスパー魔美チンプイetc...それらに偶然出会えることが喜びだったし、探すことが楽しみだった。

藤子・F・不二雄大全集はその全てを奪い去った。細かい話をすると、収録された作品の中には、雑誌掲載時と単行本収録時で差分があるものもあって、その辺りを全てカバーしているわけではない。しかし、「物語」とか「漫画作品」とかの少し大きめなくくりで見た際に、たった一つの事実を突きつけられる。

もう、新しい出会いは無い、と。

実際にはこの後、大全集第4期がスタートしたのだが、街の古本屋さんなどで出会える可能性のある作品に限って言えば、コンプリートしていた。

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未来ドロボウ

仮に過去の自分に戻って、もう一度藤子・F・不二雄大全集を一から集めることができるとしたらどうだろうか。中々魅力的な妄想だ。出来るものならやってみたいと、思わないでもない。思わないでもないが、やってみようとは思わない。理由は簡単だ。大全集を集める前の「思い」がその時の僕だけのものであるのと同じで、全集を集め終わった「思い」も、今の僕だけのものだからだ。それぞれ掛け替えのないものだと僕は思っている。故に、過去に戻ることは無意味で無価値だ。

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あのバカは荒野を目指す。あるいは、老年期の終わり

さて、僕はこの先何度も藤子・F・不二雄大全集を読み返すことになるだろう。もしかしたら、見落としていた何かを見つけるかもしれない。あるいは、まったく新しい発見があるかもしれない。そして、あるいは全く逆の、好きだったものが嫌いになる、そんな感情が生まれるかもしれない。

恐れることも、杞憂することもない。ただ、また、前に進むだけだ。

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2112年ドラえもん誕生

未来のことは分からないが、技術的な視点から未来予測をすると、あと100年でドラえもんが誕生をするとは思えない。時間旅行が可能になるとも思えないし、4次元空間に収納スペースが生まれるとも思えない。地面から3mmだけ物体を浮かして動かすことは、その原理にさえ拘らなければできるのかな?そしてなにより、人間と同じように考え、思い、悩み、笑う人工知能が誕生するかと言うと、割と怪しい。

しかし、100年後にそう言った物が実現していないとしても、100年後の人々がそう言った物に「憧れ」を抱き続けているのであれば、それは嬉しい物だと思う。そして、そんな夢を思うときに、その傍らに、ドラえもんが、あるいはパーマン、もしかしたらオバQがそっと置かれているのなら、一人のファンとして嬉しい限りだ。