昨年夏にTOHOシネマズ新宿でシン・ゴジラを鑑賞して以来、いつかは感想を書かねばならないと思いつつもうまく文章に表現できないまま年を越してしまった。昨年末に発売されて配送されたジ・アート・オブ・シン・ゴジラをようやく読み終え、劇中で謎だったラストシーンの人の姿をした物の正体も分かってしまったところで、シン・ゴジラについて書いていこうと思う。
- 作者: カラー、東宝,庵野秀明
- 出版社/メーカー: グラウンドワークス
- 発売日: 2016/12/29
- メディア: 大型本
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自分は生まれた年代的に1954年のゴジラをスクリーンで見たわけではないし、もちろんそれ以前の太平洋戦争や東京大空襲のような災害や戦争を経験したわけではない。しかし、3.11の東日本大震災を通して感じた「日常が簡単に崩壊する」かもしれない不安や恐怖をシン・ゴジラを通して60年前の人々と同じように感じた、ような気がしている。
物心がついた頃から映画作品のゴジラには身近な存在だった。丁度、1984年版のゴジラが公開されて平成ゴジラシリーズが始動、幾つかの作品が作られた頃に幼い時代を過ごしたので、vsモスラやvsメカゴジラを地上波で放映されたものを録画して見たり、vsスペースゴジラやvsデストロイアを映画館で見た記憶がある。それ以外にも、父親がレンタルビデオ店で昭和ゴジラシリーズをレンタルしてきたので、カラーになった頃のものはいくつか見た記憶がある。
怪獣総進撃は面白くないと父親に言われたのを振り切って見てみた結果、やっぱり面白くなかったなぁとか思っていた。
初代の1954年ゴジラを始めてみたのは高校生の頃だったか。最初に見た時の記憶は曖昧だが、大学を卒業するか社会人になった頃に改めて1954年のゴジラを見たときにようやく「これは戦争の追体験なのだ」と理解をした。
品川から上陸し東京を蹂躙して海へと戻るゴジラ。その痕跡は歴史の授業かなにかで見た東京大空襲の様相を思い起こさせた。
そして、3.11。バイト先で地震にあい徒歩で帰宅。ニュースで繰り返し報道される津波の情報、電力不足による輪番停電。昨日までの日常がたった1日で転覆してしまう。しかしそれでも週明けのバイトのことを気にして日常へしがみつこうとしている。今までに体験をしたことのない事件だった。
シン・ゴジラを初めて見たとき、自分は確かに3.11のことを思い出していた。未曾有の災害が発生したときに日本はどうなってしまうのか、自分自身の日常はどうなってしまうのか。目の前に迫ったリアルな死。
呑川を遡上するゴジラを眺める人々を見ながら、「頼む、頼むからそこから逃げてくれ」と心の中で願っていた。
気がつけば、完全に映画の中に取り込まれていた。
その一方でゴジラというエンタテイメント作品を若干斜に構えて、オタクにありがちな上から目線の「評価してやろう」な目線で見ようと試みていた。小さい頃からゴジラ映画や怪獣映画をそれなりに見てきた自分をうならせる作品になっているかな? そんな斜に構えた思いは品川に上陸したゴジラ第2形態を目にした瞬間に打ち砕かれた。
なにこれ、キモい。
これは確実に今までのゴジラとは違う。斜に構えた目線で見ていてはならない。ピュアな気持ちで、初めてゴジラを見た気持ちで、記憶をリセットして!!!
4足歩行をするゴジラ(実はこれはゴジラではないのでは?とも思ったが、伊福部昭のゴジラのテーマがかかっている以上、ゴジラであると理解をした)を見て、庵野監督の挑戦を全身全霊で受け止める義務感みたいなものに駆られた感覚を覚えている。
ジ・アート・オブ・シン・ゴジラでも4足歩行のゴジラを出現させることは、東宝に対して無茶な注文をしている自覚が庵野監督にもあったようで、ロングインタビューで語られていた。
第2形態から第3形態に進化をするゴジラ、それを前に有効な対策を行うことができない縦割りの行政。「日本はこんなにも駄目な国だったか・・・なんとなく思い当たる部分があるから見ていて辛い」感じ。
そして第4形態となっての再上陸。多摩川で展開されるタバ作戦のころには悲惨さや辛さを脇において戦車や戦闘機、自衛隊の兵器が活躍をする「格好良さ」に惹き込まれていった。
シン・ゴジラのすごいところはやはり現実と虚構の書き分け、つまり「実際に未曾有の大災害が発生したときの日本」のシミュレートと大災害に対抗をするために映像的、フィクション的に面白い手法で戦う日本のギリギリのラインが上手くぼかされている部分だと思う。
庵野監督もインタビューの中で
虚構部分を支えるのが現実描写の強度
とお話をされていました。現実部分がかなりしっかりと描かれているが故に虚構部分、フィクション的部分や映像的に面白い部分がより映えているということです。
実際の街並みが破壊され、何百人何千人の人々が犠牲になっても「面白かった」「すごかった」と言ってしまう。フィクションだから当然なんだけれども映画の中に惹き込ませる現実的な描写と映像を楽しませる虚構が上手く使い分けられている。
タバ作戦も橋が吹っ飛ばされて戦車が下敷きになった瞬間に「あぁ、人類はゴジラには敵わないな・・・」と同時に「やはりゴジラはこうでなくっちゃ」と更に先の展開をワクワクして期待してしまう。
このワクワク感、期待感はゴジラの放射線攻撃の開始時点で更に高められる。
地面に向かって炎を吐き東京を火の海に包むゴジラ。見覚えのあるビルが燃え、もしかしたらまだ避難が完了していない人も巻き込みながら超高熱のビームへと変わる。そして内閣総辞職。
描かれてはいないが犠牲になった人々がいることを感じながらも「ゴジラが・・・ゴジラが・・・もっと・・・もっとだ!!!」と否応無しに高まる期待。
牧元教授の残した解析図の謎も解けてゴジラへの対策も進み決行されるヤシオリ作戦。
そして、あの、宇宙大戦争マーチと!!!無人在来線爆弾!!!!!
その手があったか!!!
その手がったのか!!!!
日本には!!!!
電車があったか!!!!!
無人在来線爆弾!!!!
声に出して言いたい日本語
無人在来線爆弾!!!!!
かくして凝固剤を投入した特殊建機小隊の活躍によりゴジラは活動を停止。東京を蹂躙した脅威は去ったのである。
シン・ゴジラの現実的部分は確かに自分たちが経験をした災害を思い出させる恐怖として描かれていた。もしかしたら、この気持ちは太平洋戦争を経験した人たちが1954年のゴジラを見たときの感覚と近かったのかもしれない。時間を超えて過去の人達と同じかもしれない感覚を味わうことができることに映画というものの凄さを感じた。
そしてエンタテイメント作品としてのシン・ゴジラは圧巻の迫力の無人在来線爆弾を始めとして無人新幹線爆弾やゴジラの放射線攻撃、背びれや尻尾のビーム、ミニチュア特撮とCGの融合などを楽しむことができた。
Blu-rayの発売が待ち遠しいですね!!